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介護現場のチーム作りで成功したかも知れない(2)

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このブログの最初~最新の記事集

介護現場のチームを作る時、最初にしたこと

「自分は正しくない」と認識する

鏡を見る猿

 

介護のチーム作りをすると決めて、最初にしたのは

自分が正しいと思わない」と思うことでした。

 

過去、オープニングの老人ホームで

介護長とケアマネを兼務していた頃

 

施設長はほとんど自分の部屋にこもっていて。。

言葉は悪いですが「何もしない人」でした(;゚Д゚)

(その後、退職してしまいました)

 

 

未経験のスタッフさんが多く

私もやる気に満ちていたので

どういう施設にしたいか」など熱く語っていました。

 

最初は入居者様もほぼいなかったので

ミーティングをする時間が山ほどあり

 

自分の考えを伝える、スタッフさんの意見を聞くため

個別面談をたくさんやっていました。

 

ただ、部屋に1対1で1時間も対話していると

スタッフさんも辛かったようです。

 

若い介護主任に呼ばれ

個別面談はもうやめてください。みんな嫌がってますよ」と言われました。

 

情熱はスープと同じ。飲んでもらえる「温度」がある

パンプキンスープ, スープ, かぼちゃ, 秋, 皿, かぼちゃの種, 新鮮

 

主任のその言葉には驚きました。

 

面談といっても、だいたい最初は

スタッフさんの悩み事を聞くことから始めて

 

自分の伝えたいことは最後の15分くらいで終わらせていたから

「圧迫面接」みたいな負担を与えていたとは思いませんでした。

 

それからしばらくは個別の面談はやめました。

 

その時

情熱はスープと同じ。相手に合わせた温度でないと飲んでもらえない

と思いました。

 

自分の情熱や方法論があるからといって

それをそのまま伝えるだけじゃダメなんだな、と。

スタッフさんによって経験も価値観も働く目的も違うので

そこを無視して何かを伝えようとしても、響かないです。

 

 

自分だけを正しいと思い込んで、相手を見ていなかった

と反省しました。

 

チームという船を沈没させない

日没時に白と黒のヨット

船の目的地と、操縦の仕方を伝える

過去の経験があったので

今のチームで最初にやることは「自分が正しいと思わない」でした。

 

その頃は入職して半年くらい経っていたので

スタッフさんたちの性格も少しは分かっていました。

 

やる気のあるスタッフ

やる気を見せないスタッフ

実力があるけど、周りに気を遣って出さないスタッフ

など

さて、どうしたものでしょうか。

 

船だって、操縦の仕方をみんなで共有して

それぞれの役割を伝えて

目的地を船員に示さないと沈んでしまいます。

 

押しつけはしないけれど

私はまず、自分の考える理念を伝えました。

それも、少しずつ、繰り返し、シンプルに。

 

みんなが安心出来る場所をつくる

これが私の理念です。

 

「みんな」とはお客様、そのご家族、スタッフさん、地域の人たちなどです。

 

そのために「船員」たちはどうするか

それぞれの温度感に合わせて伝えていきました。

 

相手が飲みやすい温度」で。

 

焦らないように、と心がけていました。

焦ってしまえば熱が入ってきて、また相手に余計な負担を与えてしまう。

 

リーダーが理念を掲げることで

少しずつではあっても

ああ、この人はそういう感じなんだな」というのは伝わります。

 

それから、理念を表現するために日々どう行動するのか。

 

失礼のない、優しい言葉をつかう

楽しいことをやる

 

まず、これを「やって大丈夫です」と伝えていきました

 

スタッフさんの「自由」を承認して、その内容を一緒に考えた

いいぞ, 親指, 手, 肯定的です, たいへん良い, 上, 好き, 手話

 

前管理者があまりに独裁者だったので

スタッフさんたちは「意見を言わない」「言ってはいけない」と

ビクビクしているように見えました。

 

それが普通になって、思考停止して

思考停止しているから、何となしにルーチン業務をしていました。

 

送迎や訪問、入浴、食事などのように

だいたい時間が決まっていること以外は「自由時間」にしました。

 

ここでも、過去の失敗を思い出していました。

 

特に、やりたいことが特にないスタッフさんたちに

「あえて自由時間をまかせた場合」

ただダラける時間になりがちです。

 

お客様そっちのけで、スタッフだけが楽しんでいる時もありました(-_-;)

 

スタッフさんに任せるだけは、自由じゃなくて放任

 

まず、前管理者のトラウマから自由になるために

「やって大丈夫です」と(偉そうな言い方ですが)「許可」しました。

 

いきなり今までと方針を変えられても・・みたいな戸惑いも見えました。

 

私は、ギターやピアノの弾き語りをしたり

「今日は出かけましょう」と、みんなで車に乗って外出したりしました。

 

マクドナルドでお客様とシェイクを飲んだり

高速道路に乗って出かけたり。

 

大きな鮮魚市場に行った時、お客様の顔がいつもと違いました。

「主婦の顔」になり、魚の目利きを始めます。

そして、その日の夕食を買っていました。

 

その市場に行くのが恒例となり、ある時は

お客様がイカをさばいてくれたり、郷土料理を作ってくれたりしました。

 

介護職では「あるある」だと思いますが

認知症という病気を患っていても、「昔やった動作」は覚えていますので

たとえば料理、編み物、掃除、人によっては楽器を演奏する、などは

お客様の身についているものだと思います。

 

そういうことを「させない」という環境を、なるべく改善していきました。

 

楽しみを創る仕事を、スタッフさん自身が増やしていった

花火, 新しい年の前夜, 市, 空, ビーコン, ライト, クラッカー

 

もともとスタッフさんたちは心のある

きめ細やかな感性も持っていたので

 

「そういう仕事をしていいんだ」となれば

どんどん楽しみを創る仕事をしてくれました。

 

1年も経つと、スカイツリーに行ったり

ディズニーランドでナイトパレードをお客様と観たり。

 

これも、フロアでお客様とスタッフさんが世間話をしていた時に

じゃあ、今度行きましょう」みたいなノリで決めていました。

 

その頃は、私はあまり「外出」に連れて行ってもらえなくなりましたが(´;ω;`)

 

「今度、ここに行こうと思います」と、簡単な企画書をつくってもらい

予算なども、スタッフさんがご家族に了解を取ってくれて。

 

最初はそういうのも私がやっていましたが

だんだんやらなくても良くなっていきました。

 

午後など、みんなが出かけて誰もいないフロアを見ながら

スタッフさんたちの頑張りが嬉しくなったりしました。

 

最初は非難ゴーゴーだった「イベント」も

1回、2回と回数を重ねていくと、今度はクリスマス、今度は・・と

だんだん形になっていきました。

 

これも、2年も経つとスタッフさんが企画書を上げてくれて

私は地域への周知や、協力出来るエンタメを一緒にやるくらいで

だいぶ負担が軽くなっていきました。

 

楽しさを創る」ことにシフトしていくのに

だいたい2年くらいはかかった気がします。

 

理念を示し

「やって大丈夫ですよ」と承認し

自分もやってみて

スタッフさんたちの邪魔をしない

 

まず、それは出来ました。

 

少し話はさかのぼりますが

そこに入職して1年ほどした時

今度は組織図」の見直しをするようになりました。

 

組織図と役職をつくったらチームが良くなった話はココから↓

介護現場のチーム作りで成功したかも知れない(3)
「楽しい現場」を作るのと並行して「組織図」をしっかりさせていった。自由とルールを作っていくと、スタッフさんたちがより輝いていった感じになりました。

 

 

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