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【体験談】家族介護のストレス(4)

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じいちゃんは結局すごかった。

左マヒになったじいちゃん

ホスピス, 思いやりのあります, 看護, お年寄り, お手入れ, 忍耐強い

 

じいちゃんは、認知症のばあちゃんをサポートして暮らしていましたが

ある日、脳出血で倒れてしまい、左半身マヒの後遺症が残りました。

 

一緒に暮らすようになり、最初は

認知症を患っているばあちゃんが、夜とか寝ないのかな~」と

思っていましたが、実際に起きた現象は違いました。

 

当時、私が寝ていた部屋から

廊下の向こう側の部屋で、じじばばは寝ていました。

 

夜中の2時くらいになると、廊下のむこうの暗闇から

おーい、おーい」と、じいちゃんの声が聴こえてきます。

 

行って電気をつけると

じいちゃんが介護用ベッドの上で何やら混乱している様子で

ばあちゃんがそばで立ち尽くしています。

 

「どうしたの?」と聞くと

起こしてくれ」と言うので、介助して上半身を起こします。

 

次は「寝かしてくれ」と言うので介助して上半身を寝かせます。

 

じいちゃん「ありがとう」。

 

・・何やねん!!と心の中で突っ込みをいれました(;’∀’)

 

 

最初はちんぷんかんぷんだったのですが

まだ「マヒ」に慣れていない体で

 

「体の置き所」が良く分からず戸惑っていたり

 

ベッド柵に腕をはさんでしまいパニックになったり

 

戦争中の記憶が甦り、不安になったり・・

 

浅い眠りの中で、じいちゃんは苦しんでいたのでした。

 

 

暗闇の台所。冷蔵庫のそばで眠る。

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また、オムツをしていましたが

どうしても横漏れで尿失禁してしまい

 

取り替えてくれ~」と、時間関係なく声が聴こえます。

 

そうして呼ばれて行くのが面倒になったので

私はじいちゃんの寝室横にある台所の

冷蔵庫にもたれてうたた寝をして、呼ばれたらすぐ行くことにしました。

 

1年くらいはそんな感じで、寝たか寝ないかみたいな感じでした。

 

生活リハビリしようよ。

車椅子, 障害者, ラメ, ハンディキャップ, ロコモーション, ・ ロッリ

 

ばあちゃんもですが、じいちゃんも

本当に周りからの人望が厚い人格者です。

 

シベリア抑留も経験したり、私なんかが語れる人物ではありません。

 

そんなじいちゃんでも、病気にはイライラさせられたようです。

 

左マヒで、部屋の中では4点杖をついて歩いていて

私は左側から歩行介助していました。

 

夜になると「じいちゃん、リハビリしようか」と私が声をかけると

今日は休んでいいだろ。訪問リハビリもやったし」と言います。

 

 

週に2回、1回20分ほどのリハビリで

劇的に良くなるはずがありません。

 

生活の中に役立つ動きを、どれだけ反復するかで回復の仕方も全然違います。

 

私も他にやりたいことをせずにこの時間を確保しているのに

そんな風に拒否されると、腹が立ちます。

 

ただ、けっこうお客様の中にはこういう「自主トレはほとんどしない

という方が多いと思います。

 

デイとか、みんなの前の方がやる気が出るのは、ちょっと分かります。

 

ビールと入浴介助

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そして、週に3~4回は入浴介助をしていました。

 

じいちゃんと2人で「どうしたらうまく風呂に入れるか」を試してました。

 

もっと強く洗ってくれ」とか「そうじゃない」とか言われると

「じゃあ、自分で洗って」と言うのをグッとこらえて

ストレスをためながら介助しました。

 

そのうち、ビールを飲んだあと

気合いを入れて介助をするのが普通になりました(;’∀’)

 

 

私が仕事休みの日には、だいたい受診の付き添い

午前中はじいちゃんの車イスを押して

ばあちゃんも一緒に外出して、昼食を食べて、帰る。

 

なので、私の「休日」は数時間でした。

 

じいちゃんはコーラと天丼が好きで、よく「てんや」に行きました。

 

高齢になると、メニュー表を見てもなかなか決められないのかな?

思うことがよくありました。

 

写真が載っていればいいのですが、文字だけだと

「よく分からないから、まかせるよ」という感じです。

 

その時は巣鴨によく行っていたのですが

「高齢者の原宿」巣鴨は、あまりバリアフリーじゃないな、と感じました。

 

古い店が多く、段差もあるし、スペースも狭いのです。

 

車イスで行きづらい、通りづらい所があるというのは

実際に車イス目線で暮らしてみて分かったことでした。

 

ちょっとの自由も許されない??

 

ほとんどプライベートもない状態でしたが

年に数回、私の母が助けに来てくれて

出かけておいで」と、じじばばの介護を代わってくれました。

 

一度、長渕剛さんのコンサートに行き

夜中に気持ちよく帰ってきた時、暗闇の中で じじばばの声が聴こえます。

 

あいつは俺たちをほっておいてコンサートに行ったんだって

とじいちゃんが言っていたのを未だに忘れられません。

 

ほんの少しの自由も許されないのか!」と悲しくなりました。

 

この時の経験から、今はお客様のご家族に

「どんどんリフレッシュしましょう」と言っています。

 

 

看護師さんが言ってくれた言葉

 

じいちゃんの受診に何度も付き添っているうちに

ベテランの看護師さんがよく声をかけてくれました。

 

「よく頑張ってるね」

 

そう言われた時、自分でも不思議なくらいジーンとしたのを覚えています。

 

たぶん、それがその時「欲しかった言葉」だったのでしょう。

 

何があっても一緒

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じじばばに、というか

「介護生活」には、けっこうイライラしていましたが

「おお・・」と身に染みることもありました。

 

真夜中、じじばばの部屋から何やら会話する声が聴こえてきて

私はソッと近づいて、何を言っているのか聴いていました。

 

ばあちゃんが少し寝ぼけて、じいちゃんのそばへ行ったみたいで

それを安心させているようでした。

 

じいちゃん「俺が来世でも結婚したいのは誰か知ってるか

ばあちゃん「知らない

じいちゃん「お前だよ

 

ばあちゃんはさっきまでの不安がウソのように

照れくさそうに笑っていました。

 

2人が手を取り合っているのを見て

何があっても助け合ってきたんだなあ」と感動しました。

 

どういう経緯かは忘れましたが

じいちゃんが私と話している時

 

夫婦に必要なのは、愛・敬・感謝だよ」と言いました。

 

まさに、それを体現しているじいちゃん。

ムカつく時もあるけど、やっぱりリスペクトしていました。 

 

何にでも終わりが来ます。「介護生活が終わった日」はココから↓

【体験談】家族介護のストレス(5)
家族介護をしていた頃の話の最終話です。ケアをしている人の気持ち、どこに共感してほしいかなどを書いています。そして、いつか必ず「終わり」が来る。。その日まで頑張っていきたい。

 

 



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