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【体験談】家族介護のストレス(3)

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家族介護は正論だけじゃない。

「とにかくイライラする」家族の心理

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介護生活が始まって数か月後のこと。

 

じじばばに対する介護サービスや日常の暮らしも慣れてきてはいたものの

日々、色々なことが起きます。

 

私が台所で調理していると

ばあちゃんがやってきて「何か手伝うことある?」と。

 

その頃、ばあちゃんは認知症状が進んだ影響で

調理や味付けがあまり出来なくなっていました。

 

最初は優しく「大丈夫だよ」と返していましたが

だんだんと話しかけられること自体にイライラしてしまい

 

やらなくていいって言ってるでしょ!」と怒ってしまう時もあります。

 

「否定してはいけない」と頭では分かっている介護福祉士が・・。

 

「認知症への対応」という面で見たら

一緒に調理したほうが良かったのかも知れませんが

 

家族としては、とにかく「早く生活をまわす」ことが最優先。

 

ばあちゃんは「物盗られ妄想」も出ていて

夜10時頃に自分の部屋のタンスを開けながら

着物がない!誰かが盗んだんだ」と、よく言っていました。

赤羽のデパートで展示されてるんだ」とか・・。

 

お金や着物を盗られた、というのは毎日言っていました。

 

盗られたも何も、そもそも「そんなモノは無い」のです。

 

最初はいちいち説明して「そんなことないよ」と言っていましたが

だんだん説明するのも疲れてきて

お金は銀行。着物は実家に」と紙に大きく書いて

ばあちゃんが何か言ってきたら、それを渡していました。

 

まあ、納得はしないのですが・・。

 

たまに時間があったり、自分のコンディションが良い時などは

「なくなったモノ」を一緒に探したりもして

 

そうしているうちに、ばあちゃんは自分が何を探していたのかも忘れ

疲れもあって だんだん落ち着いていました。

 

こういう時、介護の仕事で得たスキルは活きるなあと思いますし

寄り添う対応が、やっぱりけっこう使えるんだな」と

身に染みて感じます。

 

が、それを家族に強要するのは、やっぱり酷なことではないでしょうか。

 

日々の中でそれをするのは、至難のワザです。

 

認知症になっても残っているもの。

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あと、ばあちゃんはよく

マンションの前でタクシーを拾おうとすることがありました。

 

一度乗ってしまうとどこへ行くか分からないので

いつも玄関のドアが開く音には耳をすませていましたし

開く音が鳴ろうものなら、ダッシュでばあちゃんを止めます。

 

GPSを渡しても、それを玄関に置いて出ていきます(笑)

 

のちに、ばあちゃんが行こうとしているのは

前に住んでいた家だ、ということが分かりました。

 

やっぱり帰りたいよね・・。

 

そんなばあちゃんですが、元々は看護師さんでした。

 

夜になると時々、じいちゃんの血圧を水銀計で測っていました。

 

そういう時は、手技も表情もピシッとしていて

正確に測定するのです。

 

そして、普段の調理があれだけ出来なくなっても

なぜか「お雑煮」は最高に美味しいものを作ってくれました。

 

かつお節と昆布でちゃんと出汁をとり、肉と野菜の味付けもちょうどいい。

 

このレシピは、同居している間にばあちゃんに教わりました。

 

もともとはいつもニコニコして、誰にでも優しかったばあちゃん。

そして、かなり高齢になっても地域のために働いてきた。

 

認知症になったからって、いきなり何も出来なくなるわけじゃない。

 

「これでいいのだ」と自分に言ってあげてほしいんです。

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家族としての対応はこれでいいんだろうか」とか

マジメな方ほどよく悩んでしまいます。

 

今、私はケアマネジャーとして、ご家族のこうした悩みをよく聞きます。

 

自分の経験からしても

「まわりが言うことは気にしなくていい」

 

「自分の家のやり方、生活のペースがあるんだし、それは自分しか分からない」

 

こんな風に思います。

 

私はバカボンのパパのセリフが好きです。

 

「これでいいのだ」。

 

そう、色々悩んだりムカついたりしても

1日の、1週間のどこかで

「これでいいのだ」と、頑張っている自分に言ってあげてほしいです。

 

そこには何の根拠もいりません。

 

誰に証明する必要もありません。

 

介護は人生の大仕事です。

 

こんなに大変なことを毎日やっているのはすごいこと。

 

「ばあちゃんをひっぱたいてしまうかも知れない・・」

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話を戻します。

 

私はその時、住んでいたマンション近くが職場で

デイサービスで現場と相談員をしていました。

 

そこに、じじばばが「お客様」として週5回通っていました

 

じいちゃんはスンナリ通い始めてくれたのですが

ばあちゃんはいきなり「通所拒否」です(;^ω^)

 

そのため最初の頃、私はばあちゃんと「出勤」していました(笑)

 

職場まで歩いて10分くらい、嫌がるばあちゃんを

あ~でもない、こ~でもないと言いながら、連れて行きます。

 

そういう時はすごく疑う顔をして

私をどこに連れて行くんだ。これからハローワークに行くんだからほっておいて

と言っていました。

 

困ったのは、何度か通っているうち職場(デイ)が見えてくると

 

近くの電信柱にしがみついて「絶対行かない!!」と

子どものようになっていたことです。

 

 

通勤している人たちも見ているし

自分も遅刻しそうだし・・

 

また季節も夏で暑くって汗をダラダラかきながら

ああ、こういう時にひっぱたいちゃったりするのかな・・」と思いました。

 

とてもデリケートな感覚ですが、とにかくイライラしました。

 

「頼むよ」という感じでした。

 

デイについても、2か月以上はフロアに入ろうとしません。

 

鍵のかかった出入口に自分でイスを置いて

通りがかるスタッフがドアを開けるたびに出て行こうとするので

みんなヒヤヒヤです。

 

もちろん、昼食もそのイスに座って食べていました。

 

じいちゃんが慰めてもまったく効果はありませんでした。

 

ある時は、中に入りませんかというスタッフさんを蹴っ飛ばしていました。

 

私は身内としてもスタッフとしても、ただただ申し訳ない気持ちでした。

 

 

2か月が過ぎた頃、ばあちゃんは

今までの拒否がウソのようにニコニコと、フロアに入っていきました

 

特に何か変わったアプローチをしたわけではありません。

 

何事もなかったかのようにフロアでお茶を飲んだり

スタッフさんとしゃべったりしています。

 

環境(人や施設)に慣れたんだな」と思いました。

 

特に、色んなスタッフさんが入れかわり声をかけてくれて

ばあちゃんも怒りながらも、良い印象が積み重なっていたのでしょう。

 

あれだけ拒否をしていた人が、こうも変わるんだ・・。

 

これは1つの驚きであり、デイとしても成功体験になりました。

 

それからは、私とばあちゃんの「出勤」は終わり

デイの車でじじばばを送迎してくれるように変わりました。

 

毎日が「授業参観」そして・・

 

じじばばは、私の職場に週5で通所していたので

毎日が授業参観のようでした(-_-;)

 

レクの司会とかしている私を見て

じじばばが遠くからニコニコ見ています。

 

ああ、やりづらい」と何度も思いました。。

 

「介助」という面で、どちらかというと苦労したのは

じいちゃんの方だったかも知れません。 

 

「正論だけじゃない」実際の介護生活についてはココから↓

【体験談】家族介護のストレス(4)
家族介護しているとイライラと感動が入り混じってやってくる。脳出血で左マヒになってしまったじいちゃんは、体が満足に動かなくても、認知症のばあちゃんを守っていた。

 

 

 



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