介護業界にずっといても、いまだに不思議に感じること
「賞賛か批判」の業界
私は20年以上、介護のお仕事をしていて
いまだに疑問に思うことがあります。
「介護業界はなぜ『綺麗ごと』と『業界批判』の中間が
あまり無いように感じるんだろう?」
「介護を美化する派」・・
介護のお仕事をしていると、たとえば求人広告などでの
「ありがとうがもらえる仕事です」だったり
スタッフも「この仕事の魅力は?」と聞かれて
「ご利用者の『ありがとう』という言葉をいただけることです」
と耳にします。
というか、私自身が初期の頃はそういう返答をしていました(;^ω^)
「介護最低派」・・
SNSなどで介護業界批判をする層。
自分の職場がブラックなのを展開して「業界が最低」という投稿をします。
このような「介護最高派」「介護最低派」は多く見かけるけれど
そんなに声を上げない「中間層」をあまり見ないな?と不思議に思い
「実は、本当に業界を良くしているのは中間層なのでは?」
という仮説を立ててみました。
過剰な「福祉は美しいもの」という幻想
「福祉は奉仕」
「美しいもの」
そんな風潮が、いまだに根強くある気がします。
若い頃
「介護の仕事してるんだ」と友人に言ったら
「えらいね」と言われたり
「給料安いでしょ?よくやるね・・」
と、真逆の2パターンで返されました。
介護職の方なら理解出来る感情だと思いますが
そんなに特別な事をしている自覚はありません。
個人的には「福祉」と目をキラキラさせている暇は無く
目の前のケースにガチンコでぶつかる日々です(;’∀’)
その「マジ感」が楽しいし難しいと思っています。
介護の仕事は「美しい福祉の仕事」というイメージが
世間的にあるのではないか?と思います。
それはまったくの間違いではないのですが
あまりに「奉仕」を強要されると「仕事感」が減り
低賃金でも当然、みたいな事にもなりかねません。
介護の仕事は「まっとうに働いて、まっとうにお金をもらう」
ほかの業種と何ら変わりはないと思います。
「福祉の感動」は日常の中に
福祉の学校で教えている
「高齢者を尊敬しましょう」。
これを聞いた時はピンとこなかったですが
実際に多くのお客様と接していくなかで
上にあげたような感覚を何度も何度も味わうと
「自分には出来ないことをしている人にはリスペクト」
という気持ちが、私はわいてきます。
確かに、現場でお客様やご家族と「人間関係」をつくっていると
その人生を垣間見るというか
この仕事でないと出会えないような場面があります。
たとえば
お客様は「要介護」状態であり
家族や友人や、住み慣れた地域からも離れ
暮らしている場合が多いです。
自分だったら
思い通りに動かない体、
進んでいく物忘れ、親しい人達にも会えない、
金銭的な余裕もない、明日も特にやることがない、
誰からも頼られている実感がない・・
そんな状況でも、笑っていられるだろうか?
でも、お客様はそれを目の前でしてくれます。
・・怒鳴ってばかりの人もいるけど(;・∀・)
そんな日常も、介護職にはあります。
普通に感動します。
ただ、それはコンテストで
「誰が一番、感動させられるか」と点数をつけるものではないし
もっと淡々と目の前にある「日常」です。
自分たちの「価値」を下げる人々
反面、特に匿名のSNSなどで
「介護業界は最低」と言っている人達もいるわけで。
ドロドロの愚痴を吐き出しているので、それを読んでいる人は
「介護業界ってそんなにひどいんだ」と思います。
実のところは
「その発信者が介護に合わない」
「発信者は頑張っているんだけど、その現場が良くない」
というミニマムな問題だと思うのですが
「業界や、介護という仕事自体が最悪」という印象を与えてしまいます。
私は、そういう発信をしている人に「介護してほしい」と思いません(-_-;)
業界批判をする
↓
人が集まらない=人手不足
↓
社会的地位が下がる=低賃金
そんな風なループを自分たちで作り出していると思います。
冒頭に書いたように
介護業界「最高派」と「最低派」がいて
なんとなく、その中間層がない気がしていて。
個人的な感想ですが
「中間層」の人達は、普通に出勤して、普通に「介護職」して
普通に「お客様やそのご家族を支えていることでお金をもらっている」。
そして、それが当たり前だから
別に、力を入れて過剰に賞賛することも批判することもない。
静かに「いい仕事をしている」人が多い印象です。
「自称革命家」が多い
介護職の面接を担当していた頃に
「面接の時に、キラキラした目で理想を語る人は早く退職して
よく分からないけど頑張りますみたいな人は残るなあ・・」
と、よく感じていました。
「福祉」という仕事の性質上
理想を抱きすぎるのも問題だなと。
「介護」「福祉」に過剰な夢を見てしまう人は
過剰な賞賛か批判をしてしまう傾向があると思います。
「介護業界にはなぜ『革命を起こす』『私が業界を変える』
と言っている人が多く、だいたいが消えていくのだろう?」
かく言う私も、20代の私はそんなセリフを言っていました(笑)
まったくお恥ずかしい限りで(;・∀・)
フェイスブックが流行りだした頃
本当に、色々な人達がこういうセリフを言っていて
嵐のようにやってきて、嵐のように消えていきました。
「自分しか見えてない感」が怖い
昔、あるデイサービスに面接に行きました。
民家を改築したデイに行くと
サンダル履きでTシャツの管理者さんが出迎えてくれました。
まだ20代前半とのことです。
今は「ああ、現場で頑張ってるからこの服装なんだな」
と思えますが、当時は
「こっちはスーツで来ているのに。。この会社大丈夫かな」
と感じました。
デイに入り、和室にその人と向い合せで座ると
こちらが差し出した履歴書をみる事もなく
その人は「いかに自分が理想を持ってこの仕事をしてるか」
「この事業所をどうビッグにしていくか」を語りだしました。
私は面食らってしまい、自分が気になっていること
(勤務時間や待遇のことなど)を小声で質問するのみ。。
それにはあまり答えず、最後にその人が
「僕は、介護に革命を起こします」と言った時
「ここはやめよう」と思いました(笑)
「業界じゃなくて、まず目の前の人を大切にしてください」
その時思った本音です(;´・ω・)
なんだか、あの「自分しか見えてない感」が怖かった。
よく分からないけど、帰り道で反省しました。
私もそうなのかな・・・と。
「意識高い系」は、本当に意識高いのか?
よく、介護スタッフを揶揄して
「意識高い系」「キラキラ系」「ポエム系」
みたいに呼ぶことがあります。
ちょっと皮肉をこめて。
理想は語るけど、実は大した仕事しないよね、という感じです。
私も以前はフェイスブックで、介護現場の喜びを
詩みたいに「過剰に盛って」書いていたので
「ポエム系」でしたね(^_^;)
今も書くけど、昔のようには盛れません(笑)
書くとしても、静かなワビサビみたいなトーンですね。
理想を語ること自体は、私は良いことだと思います。
それも語れないようじゃ終わりだ、とも。
ただ、自分が忙しく働いている横で
体は動かさずに「こうするべき」みたいに言われると
シンプルに腹が立ちます。
「君の業務を革命しろ!」と心の中で叫びます。
本当に「意識高い人」は
会社に言われるまでもなく、自分で研修を探して行ったり
休みの日に「ちょっと他の施設見てくるわ」とボランティアしたり
困っている同僚がいたらそっと助けてくれたりします。
押し付けないくらいの温度で、周りに良い影響を与えます。
その方が、よっぽど「現場に革命を」推し進めている気がします。
やっぱりここでも「中間層」の淡々としたプロ達が
実質的に「現場を良くして」います。
こうして書いていて、改めて感じました。
「革命は、ほぼ誰にも気付かれないように
いつの間にか成し遂げられているものだ」。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^♪
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