G-TP2LY1DZ46

【体験談】家族介護のストレス(5)

☆当サイトはアフィリエイト広告を利用しています
このブログの最初~最新の記事集

家族介護が終わった時

「誰の親なんだよ!!」

文章

 

じじばばとの暮らしが1年を過ぎた頃、私は叔父にキレてしまいました。

 

ある夜、叔父が家に来て

じいちゃん達の今後をどうするみたいな話を

じじばばと一緒に話していました。

 

叔父は「まあ、お前に任せてるからさ」と私に言って

 

当時の私としては、何だか逃げているような感じがして

だんだんイライラして、日頃のストレスというか

この場合は介護のストレスというより悲しい、という感覚でした。

 

 

みんなでリビングで話をしていましたが

私は立ち上がり、近くにあるごみ箱を蹴って

誰の親なんだよ!!」と叔父に言いました。

 

いま思うと、その時の叔父は

家賃や介護費用も出してくれたりしながらも

 

自分の家も子育てなどで大変だったり

私たちを助けたくても助けられない状況だったのかも知れません。

 

気持ちがうまく表現できず、本当はもっとフランクに

じじばばにも接したかったのかも知れません。

 

それにしても・・と思いました。

あまりにも、こちらに負荷がかかりすぎだろうと。

 

みんな、口は出すけど手は出さない

無視された馬, ビーチ砂漠, 飢饉, 茶色の砂漠

 

介護をしているご家族に話を聞いても

みんな(親戚や身近な人たち)口は出すけど助けてくれないんだよね。

 それが本当にストレス

と言う人が多く まったく共感します。

 

もちろん、家族みんなで協力しながらやっている人もいますが

感覚的には、少数派にみえます。

 

かくいう私も、その後離れて暮らす じじばばや

それを支える私の両親をフォロー出来ていたかというと

ほとんど出来ていなかったと思います。

 

だいたいの人は「目の前の暮らし」にフォーカスしていて

家族介護をしている人の暮らしに何が起こっているのか

わりと楽観的に見ているのです。

 

「もっと上手に介護したいのに・・」。介護生活をギブアップ

昼間にビーチで自転車に乗る黒いジャケットの男性

 

ゴミ箱を蹴っ飛ばし、台所で泣いている私に

ばあちゃんが近づいてきました。

 

優しく私の背中をさすりながら

何か意地悪されたの?大丈夫だからね・・」と言いました。

 

いつもはイライラするようなこのセリフに

私は不思議なくらい、子どもになったようにまた泣いてしまいました。

 

本当は、もっと上手に介護したいんだ・・・。

 

それから、同居生活はもう難しいと判断し

マンションの近くにアパートを借りて

そこから「通い介護」をすることになりました。

 

仕事の前にご飯を作りに行ったり

仕事が終わると買い物や入浴介助などをしたり。

 

精神的には、夜は別々なので眠れるようになって少し救われましたが

物理的には、やはり同居していた頃のほうが楽でした。

 

なにか緊急のことがあると、夜中でも自転車で駆け付けました。

 

結局、同居してから1年半ほど経った頃

私は介護生活をギブアップしました。

 

 

じいちゃんとばあちゃんは、私の両親と暮らすことになり

私の暮らしから「家族介護」という文字が消えました。

 

仕事が終わってから、じじばばのマンションに向かうクセがしばらく消えず

 

何日かすると、自転車を押しながら

ああ・・もうやらなくていいんだ」と思いました。

 

今まで負荷の強かった「暮らしの一部」が終わると

何をしていいのか分からなくなります。

 

じじばばのその後。亡くなるまでばあちゃんを守り続けたじいちゃん

老夫婦, 座って, 祖父母, ベンチ, キス, ハグ, 愛, お年寄り

 

数年間、両親と一緒に住んだ後

(そこには、私の数倍もたくさんのエピソードがありました)

じじばばは同じ特養に入居しました。

 

別々のフロアでしたが、私たちが面会に行った時や

どちらかが望んだ時、お互いの部屋を行き来しました。

 

そういう時、2人は手を握り合って

寂しさや不安そうなばあちゃんを見て

じいちゃんも「大丈夫だからな」と言っていて。

 

じいちゃんは亡くなるまで有言実行で、ばあちゃんを守りました。

 

今もばあちゃんはそのホームで暮らしています。

 

もう5年くらい前から私のことは認識出来ておらず

もう、いつ亡くなっても不思議ではないという状態です。

 

家族介護している人の気持ち

人, 男, 暗い, 窓, 上, 建物, 考え, 1人, 雪

 

身勝手な話ですが、こうして家族介護生活を振り返ってみると

自分が出来ていなかったことばかりが思い返されます

 

それ以前に、自分がじじばばに、そして親戚の人達に

どれだけお世話になったかも忘れて

当時の私は自分のストレスだけを見ていたのです。

 

でも、今また20代に戻ってやり直しても

あの頃以上のことは出来なかったでしょう。

 

家族介護は終わりがない。

 

自分の時間を使っているから、余計にストレスがたまる。

 

周囲の人には、基本的にその辛さは分からない。

 

孤立したくないけど、どんどん意地になる部分がある。

 

介護を受けている身内が憎いわけではないけれど

うまくメンタルをコントロールできない自分に腹が立つ。

 

手は貸さなくていいから、この辛さを分かってくれ!!

当時の私は、心の中でそう叫んでいました。

 

いつか「終わり」が来る。

太陽が水域に沈んでいる

 

介護生活には、いつか終わりが来る。

 

それは、施設入居長期入院・死別どれかだと思います。

 

どのルートを行くにしろ

いつかは必ず終わりが来る。

 

それがいつなのか分からない辛さ。

 

今、ケアマネジャーとして、お客様のご家族と話しても

どれだけ「負担を軽減する提案」をしても

本当の意味での負担は完全には取れません。

 

 

多分、言葉にならない部分の方が大きいんだろうな、と。

ただただ、ご家族の辛さを聴くだけの日もあります。

 

その感覚は、家族介護をする前は

おそらく無かったものだと思います。

 

正論だけじゃ解決できない「生身の部分」があります。

 

何事も、やってみないと

なってみないと分からない。

やれない、なれないなら

せめて否定はせず、「共感しようとする」

 

自分の身内を介護した事で、それを学びました。

 

 

何回かに分けて「家族介護」の一編を書いてみました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^♪

 

【体験談】家族介護のストレス(1)
家族の介護をするのと、お仕事で介護をするのとでは違う部分があります。いつまで続くのか、この生活でいいのか、なんで親戚たちは助けてくれないのか・・。たくさんの葛藤の先に、見えたものがありました。
【体験談】家族介護のストレス(2)
家族介護をするってことについて。サービス事業者とのやり取り、親戚間のことなど、けっこうストレスがたまるもので・・。
【体験談】家族介護のストレス(3)
介護の仕事をしていても、家族介護はちょっと別物。別だけど介護スキルが役立つこともあったり。うちの場合は、日常がどうだったかをお伝えします。まず、ばあちゃんから・・。
【体験談】家族介護のストレス(4)
家族介護しているとイライラと感動が入り混じってやってくる。脳出血で左マヒになってしまったじいちゃんは、体が満足に動かなくても、認知症のばあちゃんを守っていた。

 

 

 



コメント

タイトルとURLをコピーしました