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オーストラリアの老人ホームでボランティアした時の話(3)

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お客様とのエピソード集

海外の老人ホームで学んだこと

真夏のクリスマス

つまらないボールがクリスマス ツリーにハングアップします。

 

私がオーストラリアに行ったのは12月。

あちらでは「真夏のクリスマス」です。

 

ボランティア2日目。

 

入居者さんやスタッフさんの顔も少し覚え

勇気を出しながら、辞書を片手に色々な人としゃべっていると

 

スタッフさんから肩をポンと叩かれ

明日はクリスマスパーティだからよろしくね」と言われました。

 

これは日本でオリエンテーションを受けていた時から聞いていて

パーティで何か芸を披露してね、と言われていました。

 

食堂のピアノを何となく弾いていると

ノエリーンが近くに座りました。

 

浜田省吾さんの「ミッドナイトブルートレイン」という歌を弾き語ると

彼女は「なんだか懐かしいような歌だわ」と言いました。

 

「あなたの音楽を忘れないで」

パーティーで笑う人々

 

ボランティア3日目。

 

クリスマスパーティが開かれました。

 

食堂に、入居者様、そのご家族、

イベンターであるプロ司会者やパフォーマーなど

すごい人数が集まって、派手な飾りつけの中でイベントが始まりました。

 

マジックや楽器演奏、コントなどが目の前で繰り広げられ

みんな大盛り上がりです。

 

イベントも終盤になり、私が呼ばれました。

 

陽気な現地司会の人とは事前に打ち合わせしていたのですが

次は日本から来ました!誰や?・・・ジョニーです!

(名前言うとったやん!)と苦笑しながら、ステージに立ちました。

 

「皆さん、こんにちは。日本からボランティアで来ました。

 こちらで過ごすのは、今日が最後になります。ありがとう。

 日本で有名なサヨナラソングを歌います」と言い

 

平井堅さんの「Missing you」という歌を

CDのカラオケをバックに歌いました。

 

日本で有名なサヨナラソングだったかは定かではないですが・・

なんだか、これを歌いたかったのです。

 

歌い終わり、ホッとして客席に戻ると

ドイツから移住してきたドリーという小柄な女性が親指を立てながら

あなたの音楽を忘れないで。ずっと続けてね」と言いました。

 

「大丈夫よ。この先、何があっても・・」

灰色の鋼鉄の手すりに立っている人

 

ボランティアも終わると言う最後の時

 

スタッフさんたちにお礼を言い、仲良くなった入居者様たちと

少ししゃべりったりハグしながら

私は、最後にノエリーンの部屋に行きました。

 

彼女がいません。

 

「どこか行ったのかな?」と探していると

 

偶然なのか、初日に私を迎えてくれた

ホームの入り口あたりに立っていました。

 

「ノエリーン。今日でボランティアは終わり。もうすぐ日本に帰るんだ」

 

分かってる」と彼女は言いました。

 

その時、焦点の合っていなかった彼女の目は、まっすぐ私を見ていました。

 

元気でね。親切にしてくれてありがとう」と言うと

ノエリーンは私を抱きしめました。

 

大丈夫よ。この先、何があっても・・。忘れないでね

彼女が言いました。

 

言葉が、心に追いつかない時があります。

 

この時、私はただうなづいていました。

 

泣きそうでした。

 

彼女がそっとそばにいてくれたから

初めての場所でも怖くなかったのです。

 

病気であろうが、記憶がすぐに消えようが

ノエリーンは、私をちゃんと「ケア」してくれました。

 

「元気でね」と言うと

OK。また明日ね」と彼女は言いました。

 

もう彼女に会うこともないのかな・・と思いながら

ホームをあとにしました。

 

電車に乗り、バスに乗り、帰宅すると

ジェニファーとタイラーが待っていました。

 

お疲れ様。どうだった?

 

私はまた、ちょっと泣きそうになりながら

グレートな体験をしたよ」と言いました。

 

ホームで起きた出来事を、つたない英語で話しているのを

ジェニファーは時々あいづちをうちながら聞いてくれました。

 

特にノエリーンについては

彼女のソウルが、あなたを助けろと言ったんでしょうね。

 認知症という病気は、ノエリーンから何も奪えなかった」と。

 

 

こういう時、文化というか

「人間が人間を助けるのは、あたりまえ」

という人間性を育てるのは何なのかを考えました。

 

あのホームのたたずまい。青空、バラ園、食堂のピアノ、笑顔たち。

そこにいる入居者様やスタッフさん、訪れるご家族。

 

すべてが自然で、優劣のない世界に見えました。

 

ひょっとしたら、私が知らない部分もあるのかも知れない。

 

でも、それを言うのが野暮に感じるほど、

「みんながケアし合って」いました。

 

24歳の頃、それを知れて良かった。

日本に戻っても

この時の体験が「理想の介護現場」のイメージになっていきました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^♪

 

 

【レバウェル介護 派遣】

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